5月1日、メーデー。
日本とは異なり、ヨーロッパやアメリカでこの日は「労働者の権利を主張する日」として祝日扱いになっている。
ここオーストリアでメーデーは「Tag der Arbeit(ターク・デア・アルバイト/労働の日)」と呼ばれている。
「でも今年はコロナウィルスのせいでTag der Arbeit(労働の日)じゃなくてTag der Kurzarbeit(ターク・デア・クルツアルバイト/操業短縮の日)だね」
なんて皮肉る声が聞こえてくる。
働きたくても働けない。
そんなシチュエーションが、失業や病気以外にあるなんて、今年の1月時点で一体誰が考えていただろうか。
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オーストリア。ロックダウンから51日
コロナウィルスによるオーストリアのロックダウンから早51日目。
政府による早期の対応により、感染の爆発的拡大を防いだオーストリアは徐々に元の生活に戻ろうとしている。
オーストリア国内におけるコロナウィルスによる初の確定症例が2月25日。
感染者数はじわじわと増え続け、外出制限や学校の休校制限が発令されたのは、ウィーンで初の死亡事例が出た3月11日だ。
この日の新規感染者数は64名だった。
それからあっという間に感染者数は増え、3月27日の時点で新規感染者集は1001名と、ついに4桁になった。
しかしその翌日からロックダウンの効果が表れ、新規感染者数は徐々に減っていった。
4月12日には、感染者数よりコロナウィルスの病気から快復した人の数が上回り、4月18日から現在に至るまで、新規感染者数は2桁に落ち着いている。
オーストリアで厳格だった外出制限の緩和がなされたのは4月14日。
私用での公共交通機関の使用が許可され、400㎡以下の小さな店舗の営業も認められた。
5月からは、より穏やかな規制に移行する。
禁じられていた同居人以外との外出が、1メートルの距離を確保すれば可能となった。
学校や幼稚園も、段階的に再開される。
集会は10人まで、葬儀は30人までの参加が認められる。
(ただし結婚式や誕生パーティーは4人までという謎ルールつき。)
レストランは5月15日に6時から23時の範囲で営業が再開。
ただし,1テーブルにつき大人4名(
ホテル、観光施設、余暇施設は5月29日から再開が許可される。
こう見てみると、オーストリアにとっては「大幅な緩和」であっても、日本と比べるとまだ規制が厳しいような気がしてくる。
それでも多くのオーストリアの人々は、胸をなで下ろしている。
「働きたくても働けない状態が終わった!」
と。
少し前までわたしは個人的に、レストランや観光施設を開けたところですぐには客足はもどらないのではないかと考えていた。
その考えを改めたのは4月20日。
マクドナルドのドライブスルーが解禁された日に見た、車両の長蛇の列!
わたしは車の中から偶然見かけたので、事故の渋滞かと思ってしまうくらいの長さだった。
あとから調べてみたら、なんと70台もの車がマクドナルドのハンバーガーをテイクアウトすべく列を作っていたとのことだった。
事故が起きないように、警察まで出動する騒ぎだったとか(笑)。
ここで見て取れるのは、いかにオーストリア人がマクドナルドのハンバーガーを愛しているか、ということではない。
みんな、長く待ち焦がれていたのだ。
パンデミック以前の、自由な生活を。
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多くの人は給与を保証されている。でも。。
この大幅な規制緩和を横目に、未だ悲鳴を上げているのは芸術、イベント業界である。
わたしたち音楽業界の人間も、次々と営業再開する店や施設を指をくわえて恨めしそうに眺めなければならない人種の一つだ。
とはいっても、わたしたち雇用者は今のところある程度の給与が保証されている状態である。
オーストリアには、「kurzarbeit(クルツアルバイト)」(操業短縮)という制度がある。
今回のパンデミックのようなケースにより、休業状態が続く企業は倒産を防ぐために手を打たなければならない。
そのためには従業員の労働時間を短縮、またはゼロにして給与をカットする必要がある。
そのカットされた分を、労働局が補助してくれるという制度なのだ。
Kurzarbeit中にもらえる給与の額は、職業や元の賃金により変わり、元の賃金の80%から90%になる。
100%はもらえないまでも、全く仕事をしていない状態である程度給与が保証されているのだ。
また、このKurzarbeitの期間、そしてKurzarbeitの期間が明けた後1か月の間は、企業は労働者を解雇できないという決まりもある。
そのため雇われて働いている人たちの動揺は、フリーランスの人たちよりは少ないと思う。
現在オーストリアでKurzarbeitの状態の人の数は100万人を超えた。
わたしも、その中の一人だ。
オーストリア フリーランスへの救済策
日本同様、オーストリアでもパンデミック以降、フリーランスの芸術、イベント業界から政府に対する救済を求める声は大きかった。
その甲斐があってか、オーストリアではフリーランスの芸術家たちにも救済が行われることになった。
まずは、返済不要の500ユーロ(約6万円)~1,000ユーロ(約12万円)の緊急サポート。もらえる額の幅は、前年度の収入により変わってくる。
そのあと3か月にわたり1か月最大2,000ユーロ、つまり最大6,000ユーロ(収益損失の程度により変わる)が受け取れる。
この救済措置で、フリーランスの芸術家たちが喜んでいるかというと、、、。
残念ながらすべてがすべてそうではないようだ。
この救済措置決定以降も、わたしが目にするのはソーシャルネットワークでつながっているフリーランスの芸術家の友人たちの嘆きの投稿だ。
今年すべての結婚式をキャンセルされてしまったウエディングプランナー。
パーティーやイベント演奏の機会をすべて失ってしまったミュージシャン。
彼らは
「今年はおろか、来年も1セントも収入がないかもしれない。」
「ぼくたちは今やっとパンデミックの入り口に立ったところなのではないだろうか」
という不安を口している。
コロナウィルスに対するワクチンも、決定的な治療法も見つかっていない今、いつ働くことができるかわからないフリーランスの芸術家たちにとっては、3か月のみの補助では心細い。
心細いどころか、ないに等しい。
「人の命がもっとも大事ということは百も承知。協力するから、働くことを禁止されている分野の仕事にはしっかりとした補助がほしい」
それが彼らの切望するところだ。
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生き残るために自分を適応させることは必要か
この先少し乱暴な書き方になるかもしれないが、わたしが個人的に感じたことをちょっと書いてみようと思う。
例えば、わたしが野良猫だったとする。
わたしには固定的な餌場がある。
毎日餌をくれる、親切なおじさんがいるのだ。
だから野良猫といえど空腹に苦しんだことはない。
ある日、いつも餌場から突然餌が消えた。
原因はわからない。
餌をくれていた人が引っ越してしまったのかもしれないし、短期的に旅行に行っているだけかもしれない。
旅行だったら3日後くらいには、またそこに餌は現れるはずだろう。
だけど、その保証は?
わたしの同じ餌場に通っていた野良猫仲間には、きっといろんなタイプがいるはずだ。
「ないものはないし、またもらえる保証はない。新しい餌場を探しに行くよ」
という冒険家タイプ。
「こんなこともあろうかと、すでに3か所他の餌場を確保してるぜ」
というちゃっかりタイプ。
「今日は、何かしらの事情があって餌が出てこないだけだから待ち続けるよ。新しい餌場を探すなんて、他の猫のテリトリーを荒らすからけんかになるかもしれないし、野良犬に襲われるかもしれないし。。」
という心配性タイプ。
「今まで毎日餌を出し続けて、これからも大丈夫とみせかけておいて、急に餌を止めるなんてけしからん!餌をくれていた人は、これからも恒久的にわれわれに餌を供給すべきだ!断固抗議する!」
という闘争家タイプ。
生き残るチャンスが一番ある猫はどの猫だろう?
それは未来が見えない限り、誰にもわからない。
冒険家の猫は、別の縄張りのボス猫と戦う羽目になって敗れるかもしれないし、ちゃっかりタイプは他の猫の嫉妬や反感をかって陥れられるかもしれない。
心配性や闘争家の猫は、危険は少ないかもしれないが二度とそこで餌を得られないかもしれない。
結局は自分で緊急事態の対応を決定して、行動するしかないのだ。
わたしは、というと心配性と冒険家のミックスタイプだろうか。
2~3日うろうろ待ってみて、ダメだと予感したらさっさと出かけるタイプだろう。
だから、今回のようなロックダウンが起こって先の見えない状態に陥ったとき
「わたしはこのままでいいのだろうか?」
と考えるようになってきた。
近い将来、世界は元通りになるんだろうか?
コロナウィルスに対するワクチンや治療法ができたとしても、このパンデミックが去った後の世界はどうなるのだろう?
音楽家として、「わたし」は今までの「わたし」で通用する世界なのだろうか。
急速に変容するこの世界に、合わせなくてはいけない部分があるのではないだろうか?
音楽家が職業として生存していくために
わたしたちオーケストラ団員は、ライブ音楽で臨場感や空間、その時間、体験を届けることが主な仕事だ。
だから「AIが将来的に台頭してきてもなくならない職業」のようなリストにランキングするようなジャンルだった。
でもそのライブ、臨場感、空間を届けることができなくなった今、一体自分にはどんなことができるのか、考えなくてはならない日がきていると思う。
技術の進歩はすごいもので、最近はソーシャルネットワーク上で遠隔アンサンブルの動画などが多く投稿されている。
こういう活動も、演奏家と聴衆の絆をつなぎ続けるために大切なんだろうと思う。
ただ、それらの動画の多くは無料である。
視聴者が動画=無料ということに慣れてしまっているのも原因なのだろう。
こうも著名な音楽家や演奏団体の動画がインターネット上に溢れている状態になると、パンデミックが明けたあとに本当に聴衆がお金を払ってコンサートに来たいと思ってくれるか、心配になってしまう。
ちょうど漫画村が問題になったときのように(笑)、漫画=タダだから漫画にお金を払うなんてもったいない!と思う人が多くいたときの減少に似ているのかもしれない。
「ライブとデジタルは違うよ。マクドナルドじゃないけど、ライブのコンサートを自由の象徴として心待ちにしている人はたくさんいると思うよ」
と、言ってくれる音楽ファンの方がいる。
そうであったら、どれだけよいか。
今は祈るばかりだ。
なんにせよ職業音楽家の無料動画などのコンテンツは、観客との絆作り、宣伝の一つの形としての投資目的に留めておかないと、職業として成り立たなくなってしまう危険性があるので、注意が必要かもしれない。
クラシック音楽とデジタルツール
何百年前の音楽を演奏する、クラシック音楽の業界においても、動画などデジタルツールを手放して考えることは、ほぼ不可能な時代になってきていると思う。
わたしの多くの知り合いは、レッスンをオンラインに切り替えたり、演奏動画を限定公開でユーチューブなどにアップロードしたりして、仕事を続けている。
今までの「対面レッスン」という餌場を一時的にでも捨てることを選択した冒険家タイプの猫たちは、仕事がないどころか今までよりも忙しい状態になっていると思う。
無償で動画を投稿するのではなく、投げ銭や課金制で演奏、レッスン、伴奏動画を投稿し始めた人たちは、今まで通り、それどころか今までより増して練習や準備、仕事に余念がなくなっていることだろう。
パンデミックのこの状態が続いている限り、人の代わりに移動量が圧倒的に増えるのはデータになる。
わたしも既存の餌場に甘んじて今まで先送りしていた、自宅での録音や録画の方法を改めて勉強しなければならないと思っているところだ。
できることを一つずつ。
嘆いていても学んでいても、時間は平等に過ぎていく。
未来のことを考える
人類は今までなんども、破壊的な感染症の脅威に見舞われてきた。
それでもわたしたちが今こうして世界に存在しているのは、人類が必ずその戦いに勝利してきたからだ。
不安な今の状況だけにフォーカスしすぎると、どうしても気分が滅入ってくる。
そんなときは、人類がウィルスに打ち勝ったあとの未来の世界のポジティブな姿を思い浮かべることにしている。
「この状態が終わって、やっと生のオーケストラ演奏が聴けるようになったら、お客さんきっとみんな泣いちゃうでしょうね。」
先日、生徒の母親が言っていた言葉がわたしの心深くを温めつづけてくれている。
こんな状態だけど、クリエイティブに過ごしたり、新たな餌場を求めて冒険にでたり、ウィルスに怯えずに過ごせる未来のことを考えて、ポジティブに生きていこう。
例えこの戦いが長期戦になったとしても。
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コメント
2月にウィーンに行く機会があり、楽友協会でヴェルディのレクイエムを聴きました。
オーストリアでも日本でも、あれからまだ3ヶ月とは思えないほど、長い長い時間を過ごしていることと思います。
先のことはわかりませんが、来年の日本公演が実現し、再びTonkunstler Orchesterの音を聴けることを待ち望みながら、いましばらくstay homeの日々を過ごしたいと思います。
コメントをありがとうございました。ヴェルディの演奏会にいらしてくださっていたのですね。
ありがとうございます!
オーストリアでは8月半ばからグラーフェネッグの音楽祭が開催されると発表がありました。
ロックダウンから2か月、ようやく明るいニュースです。
トーンキュンストラーオーケストラの日本公演は来年予定されています。
その時までには、また以前のようにコンサートが楽しめる世の中に戻っているように祈っています。
どうぞお体に気を付けてお元気にお過ごしください。
お返事ありがとうございました。
グラフェネッグ音楽祭!先行きが見えるのは、きっと大きな一歩ですね。わがことのように嬉しく感じました。
日本では、様々な対策をして7月頃から再開を検討、と発表する楽団も出てきていますが、全体的にはまだもう少し時間がかかりそうです。
竹中さん、ご家族、そして団員の皆さまも、お身体にお気をつけてお過ごしください。
akiraさん
日本では7日からですか!
ヨーロッパでもウィーンフィルやバンベルク交響楽団がエアロゾルの検証をしたり、ハンブルグでエプフィルハーモニーでリハーサルが行われたりと演奏会に向けて準備が整ってきています。
ウィルスの拡大防止措置を順守しつつ、ライブ音楽も届けられる日が近づいてきていてほっとしています。
akiraさまもお元気にお過ごしください!