「わたしも長くこの仕事をやってきました。予定していた演奏会が直前でキャンセルされたり、ソリストにすっぽかされたり、いろんなことがありました。でも、こういうことは初めてです。」
2020年3月12日。
わたしたちは予定されていたリハーサル会場に「楽器を持たずに」集まった。
いつも必ず用意されている、指揮台や譜面台がそこにはなく、楽団員が座るための椅子だけが並んでいるリハーサル室は、なんだかよそよそしく見えた。
「ご存知の通り、政府からオーストリア国内における100人以上の屋内イベント、500人以上の屋外イベントの中止が通達されました。楽友協会も3月末までは閉鎖するということで、残念ながら今週末のコンサートもキャンセルということになりました。」
今週末のコンサートも、月末のコンサートも売り切れだったんですけどねえ、、と、わたしたちに説明をするオーケストラディレクターはため息をつく。
チケットは当然払い戻しになる。
もちろんオーケストラにとっては大打撃だ。
だが、相手がウィルスなので誰に文句を言うこともできない。
こうしてわたしたちは、突如として半月の休みを言い渡された。
2週間で社会生活を制限する決断を下したオーストリア
まさに晴天の霹靂。
アジアでのコロナウィルスの広がりとその脅威を、わたしたちはヨーロッパから見ていた。
ここまであっという間に世界中に広まってしまうなんて。
オーストリアに初の感染者のニュースが流れたのが2月27日。
インフルエンザの症状ですでに10日も病院で入院していた72歳の男性に、もしやとテストしてみたら陽性反応が出たという、いかにもウィーンらしいスタートだ。
その日から数えて、大人数でのイベント禁止が決定されるまで13日。
その4日後には、
①延期できない仕事
②生活のための買い物
③困っている人を助けるため
の3つのケース以外には外出禁止令が出されている。
その必要最小限の外出も、1人、または同居人とのみで行わなければならない。
(同居人意外と接触しない範囲での散歩なら、まだ許可されている状態ではある)
違反者には警察のコントロールも入り、必要ならば罰則もあるそうだ。
学校、美術館、博物館、図書館、動物園、音楽ホール、スポーツジム、レストラン、子供の遊び場など、人の集まりそうなところは軒並み閉鎖されることになり、小さな子どもを持つ親は悲鳴を上げている。
わたしは専門家ではないので、この決断が速いのか遅いのかはわからないが、体感速度としては「ずいぶん早い断簡で思い切った決断に出たな」という印象だった。
社会生活が大幅に制限されて、嘆いている人が多いかと思いきや、わたしの周りではこの決定に概ね肯定的な人が多い。
それは、やはりコロナウィルスが未だ未知のウィルスだということ、隣国のイタリアの感染者が急増して大変なことになっているのを知っているということ。
そしてまあ、もともと働くのが嫌いな人が多い国民性もあるのかもしれない(笑)。
コロナウィルスはよくインフルエンザと比較されている。
しかしその感染力はインフルエンザが1人から平均1,46人~1,8人なのに対し、コロナウィルスは2~3,11人と言われている。
集中治療室が必要になるほど重篤化する人が全体の患者の5%としたときに、オーストリア国内で使える集中治療室がいっぱいになるには、あと2週間ほどという計算らしい。
医療崩壊を避けるための今回の社会生活の制限。
普段は人を集めることが仕事なわたしたち音楽家は、まさしくなすすべがない状態だ。
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コロナウィルスと音楽家たち
そこまで長期戦にならなければ、まあどうにかなるか、、、と比較的楽天的に捉えられる音楽家は、わたしのように雇われの音楽家たちだろう。
コンサートがなくなって、チケットが払い戻しになっても、とりあえず今のところ給料は保証されている。
とはいっても、今回の休業を降ってわいた有給休暇のように捉えている人はやはりほとんどいない。
この事態がいつ収束するのか、まったく予想が付かないからだ。
現に、3月末までの休業と言われていたわたしたちオーケストラの演奏会も4月14日まですべてキャンセル、と今日通達が届いた。
刻一刻と変わる状況。
1か月、2か月は給料や待遇が保証されても、その先は?
日本と同様、オーストリアも労働者を保護するための予算を捻出しているが、先行きは不安である。
いちばん大変なのは、フリーランスの音楽家たちであろう。
フリーランスの音楽家たちにとって、演奏会やイベントが中止になってしまうということ。それは、収入の100%の損失を意味する。
この先、どれだけ無収入の状態が続くかわからないというのがさらに恐ろしいところ。
イベントやコンサートの実質禁止の通達を受けてすぐ、とある個人音楽事務所の社長が素早く非常時における芸術家の収入の保証を目指すグループを立ち上げた。
今年コロナウィルスが原因で、出演予定だったイベントがキャンセルになってしまい収入が絶たれてしまった芸術家たちに昨年とほぼ同じくらいの収入を、等の内容の嘆願を政府に出している。
残念ながら、今のところなんのリアクションもないというのが現実である。
この月曜日と火曜日だけで、オーストリアに失業した人は実に49,000人にも上っている。
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オンラインの音楽家たち
コンサートやレッスンが不可能になった今、わたしたち音楽家は何もすることができないのだろうか?
いや、このご時世、オンラインでできないことはほとんどない。
わたしの楽器講師を仕事にしている友人たちも、多くの人がオンライン・レッスンを提供し始めた。
オンラインで楽器のレッスンなんかできるのか?
とわたしも過去には思ったことがあったが、結果的に言えることは
「できることはできるし、できないことはできない」
というのが正直な感想である。
オンライン・レッスンはライブのレッスンのように修正点が見つかった瞬間にぱっと止めたり、体の動きを手をとって教えたりはできない。
また、少し音の遅れがあるため一緒に弾いてあげることもできない。
でも、講師、生徒とも家から出ずにレッスンが受けられるというのは、オンラインでならではの大きな魅力だ。
たった今、ウィーンでピアノ講師をしている友人と電話していたところ
「オンライン・レッスンを始めたいのだけど、お月謝はいつもと同じで大丈夫なのかしら。。納得されない親御さんもいらっしゃるのだけど。」
と悩んでいた。
わたしは、オンライン・レッスンはできることが違うから優劣つけることができないのではないか、という意見を伝えた。
なんにしてもオンライン・レッスンだけでもゼロの状態から上達していく人はしていくし、していかない人はしていかない(笑)。
ライブ・レッスンでもそれは同じこと。
レッスンというのは、あくまでも練習方法のアドバイスや、自分では気づけない部分を客観的な視点でどう見えるかを離す場所であって、実際人を上達に導くのはレッスンでなくて練習そのものだからである。
また、オンラインでライブ演奏会を配信する音楽家たちも増えてきた。
ウィーンを代表するウィーン国立歌劇場も2020年4月2日まで、無料で過去の演奏会を毎日オンライン配信している。
なんと日本語字幕を設定できる。
Wiener Staatsoper
https://www.staatsoperlive.com/
世界的オーケストラ、ベルリン・フィルハーモニーも「ホールが閉鎖してるから、僕たちがそっちに行くよ」とのうたい文句で、2020年3月31日までデジタル・コンサートホールを無料開放している。
Berliner Philharmoniker Desital Konzertsaal
https://www.digitalconcerthall.com/ja/home?a=bph_webseite&c=true
わたしが個人的に好きな、アメリカのメトロポリタン・オペラも無料でストリーミング上映中だ。
Metropolitan Opera
https://www.metopera.org/
バイエルン国立歌劇場も4月19日までオンラインで鑑賞可能。
Beierische Staatsoper
https://www.staatsoper.de/en/stream/
この機会に、今まで聞かなかった分野の曲と知り合ってみるのもいいかもしれない。
それでも奏でることをやめない音楽家たち
3月15日、18時にオーストリアの街のあちこちで音楽が鳴り響いた。
オーストリアに住む音楽家たちが、一斉にバルコニーで音楽を奏で出したのだ。
イタリアの人々が、バルコニーで歌ってお互いを励ましあう動画を見て感動した人たちから、火が付いたアクションだ。
「3月15日18時に、音楽家たちはバルコニーで演奏をしよう」
という誘いはSNSで拡散され、多くの音楽家たちがこのアイディアに賛同したようだ。
わたしも実際窓を開けてみたところ、トランペットの「アメージング・グレイス」が流れてくるのが聞こえてきた。
バルコニーに出て耳を澄ませる人々、演奏家に拍手を送る人々、「うるさい、静かにしてくれ!」と叫ぶ人々。
反応はそれぞれだ。
このアクションは、今週の日曜日にはドイツでも行われるらしい。
静けさを求めている人にも強制的に音を届けてしまうことがあるという点では、音楽家のエゴなのかもしれない。
でもこの試みは、コンサートホールから音楽が消えた街という街に、世界中広がっていくような気がする。
大きな危機に瀕したとき、わたしたち音楽家は無力感にさいなまれる。
わたしたちの分野は、生きることに不可欠な衣食住ではない、いわゆる「贅沢品」なのだろうか?
いや、こんな時にこそ。
こんな時にこそ、音楽は生活に密着しているもの、生活の中に息づいているものだと再確認する。
今直面している非日常で、日常を取り戻そうと願う人々がいる限り、わたしたちは音を紡ぐことを諦めない。
人々を、そして自分自身を勇気づけるために。
わたしたちができることがそれだけしかないからかもしれないけれど。
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